~いざ、美しき軽井沢の森へ~

野生のいのち

野生のいのち

 毎日、我がKazusaの森にやってくるリスや野鳥たちを眺めていると、つくづく、野生のいのちは逞しいなあ、と感じる。
 彼らは必死に生きている。神から与えられた「子孫を遺す」という使命を果たすために、ただひたすらに、動いて食べて……を繰り返しながら、毎日、純粋に、生きている。

 リスや小鳥たちは、食物連鎖の底辺に生きている。周囲にいる生きものはすべて天敵といっていいくらいだ。その中で生き抜いていくには知恵が必要だが、その知恵を、彼らは親から学ぶ。巣立ちをして独立するまで、リスで2ヶ月、野鳥で1ヶ月半という短い期間に、彼らは生きていくためのすべての知恵と術(すべ)を親から学び取るのだ。何から何まで、警戒の仕方まで身に付ける。これはすごい。
 しかし、食物連鎖は残酷で、リスや小鳥に限らず、キツネやタヌキやイタチなど、我が森にやってくる動物たちを見ていると、彼らが常に周囲を警戒しながら生きているのがよくわかる。食べているときでさえ、周りを気にしている。

 食べることに関していうと、彼らは貪欲だ。彼らにとって、食べることは、即、生きることにつながるので、それももっともなことなのだが、こと、同類に対してそれが顕著に出るのには、ちょっと驚いた。
 ことに、野鳥の場合、たとえば、カワラヒワは他のカワラヒワが給餌台にやってくると猛然と追い払う。それに比して、そこに、シジュウカラなど、他の種類の鳥がやってきても、さほど気にしない。これは冬鳥のシメも同じだ。シメは同じシメがやってくると、翼を広げ、嘴を大きく開けて威嚇する。中には、そんなに多くの種を自分だけで食べきれるわけはないのに、給餌台を独り占めするものも多い。カワラヒワもシメも、群れで行動するというのに、どうもそれとこれとは話が違うらしい。
 リスも同じである。単独行動を好むリスは、繁殖期以外はほとんど一匹で走り回っている。猛禽類やヘビなどが天敵なのだろうが、見ていると、食事どきの一番の敵は同じリスなのではないかな、と思うときが多々ある。
 いずれも、たくさん食べて自分のDNAを残そうとする本能がそうさせているのだろうが、自分の身は自分だけで守るしかない彼らは、したたかである。鋭い野生の勘を持ち合わせて、敏捷でしかも過剰なほどの防御反応を示す。

 だが、森の中を自由に飛び交い、嬉々として走り回る彼らを見ていると、本当に気持ちがよさそうで、こちらまで胸がスウーっとして心地よくなってくる。
 ことにリスなどは、スルスルスルっと木に登ったかと思うと、もう次の瞬間には、枝から隣の木の枝にスイーっと空中を泳ぐようにして飛び移る。その光景を目で追っているうちに、わたしまで風を感じてしまう。
 彼らは、この森のことを隅から隅まで知っているのだろう。あそこの藪にはウサギの穴があって、あそこの崖の上にはキツネが住んでいて、あのくぼみには腐った株があって、あの大木には美味しいきのこが生えていて……、と、この森を毎日走り回っている彼らは、どこにどんなものがあるのか、どんな仲間が潜んでいるのか、いつどこでどんな実がなるのか、すべて「合点承知之介」なのだろう。そう、彼らこそがこの森の主なのである。
 天を仰ぐようにして聳え立っている樹木たちに守られ、育まれている彼らは、まさしく、この森の恩恵を受けるに値するいのちなのだ。長い年月をかけて、森をいっしょに作り上げてきた仲間たちなのだ。森に抱かれ、森に愛され、そして彼らもまた森を愛する、いや、森がなければ生きていけないいのちなのである。

 そんな彼らが、勝手知ったる森の中を自由奔放に駆け巡ったり飛び回ったりしている姿を見ていると、人間に飼われて久しい犬や猫が憐れに思えてくるのだから、不思議である。東京にいたころは、野生の動物たちは明日をも知れぬいのちを抱えて、かわいそうだなあ、と思っていたが、この軽井沢の森の中で暮らすようになって、それは人間の勝手な解釈であることがわかった。
 野生を押し殺されて、人間の都合のよいように作られてきた犬や猫は、それこそ、人間がいなくては生きていけない。人間のすることには何ら逆らうことなどできない。よい飼い主に出会えたものは無事に一生を全うすることができるが、無責任で自分勝手な人間に飼われたものは、虐待されたり捨てられたりして命を落とす。それでも彼らは文句ひとついえない。
 それに比べて野生の動物たちは、自己責任のもとに、さまざまな困難と闘いながらも、自力で生きている。もっとも、こうして森が豊かだ、という大前提があっての話であるが。

 いま目の前にいるKazusaの森のリスや野鳥たちは、それこそ彼らには彼らのさまざまな事情があるだろうに、言い訳や不平不満を口にすることもなければ、泣き言をいうこともない。ただひたすらにわき目もふらずに、そのいのちを燃焼させている。その健気で、潔い姿は感動的でさえある。
 あんな小さな体で一生懸命生きている彼らを目にするたびに、思うのだ。ああでもない、こうでもない、あのときこうだったから、ああだったから……、などといってられないなあ、と。人間であるわたしはもっともっと、粛々として頑張らねばなあ、と。

 彼らはこの森の先住民たちだ。そんな先住民たちに迷惑をかけないように、仲良く暮らしていくことができればいいなあ、と、そんなことを思う今日この頃である。

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