~いざ、美しき軽井沢の森へ~

Kazusaの森のリスに出会えて

Kazusaの森のリスに出会えて

我がKazusaの森のリスたちと出会ったのは、昨年の初冬のこと。
そう、あれは、引っ越し騒動も一段落して、森の樹木が色づいた葉をすべてふるい落として裸木になった頃だった。

ふっと窓ガラス越しにバルコニーを見やると、なんと、その真中に植わっている大きなクリの木の根元で、野鳥の落としていったヒマワリの種を1匹の小さなリスがカリカリっとかじっているではないか。いやはや、あのときのあの感動はいまでも忘れられない。

何いってんだか、たかがリス1匹に……と、笑われるかもしれない。でも考えてもみてほしい。リスなんて、動物園にでもいかない限り、東京では目にすることなんてできないのだから。

小さな身体にふわふわっとした大きな尻尾。ピンと立った、あの毛糸の三角帽子みたいな耳。黒いアーモンド型のつぶらな瞳。何をとってみてもすべてが愛らしくて、しばらく窓の内側から、なぜだか息をするのも忘れてその姿に見入ってしまった。
敷地内に植わっているクリの木はどれも、根元に空っぽになったイガがいくつも転がっていたけれど、あれって、リスたちがクリの木の上で食事会をした痕跡だったのだ、とそのときにはじめて気がついた。だからこうして、このクリの木にやってきてくれたのだ。

でももうクリの実は残っていない。
そう思うといてもたってもいられなくなって、早速、クルミを買ってきてバルコニーのクリの木の根元に、数個置いてみた。
そしたら、きた、きた。翌日も翌々日も、2匹のリスが入れ替わり立ち替わり、姿を現してくれたのだ。
そんなリスの様子を毎朝、眉をハの字にさせて眺めながら、ふっと思った。
このまま、リスにクルミを与えていいものだろうか……、と。
野鳥への給餌も併せて、随分、それも真剣に、悩んだ。

そういえば、「餌付け」と「給餌」とは違う、というようなことをどこかで誰かがいっていたような……。そこで、ちょっと調べてみた。
日本野鳥の会などの自然保護団体の定義によると、「餌付け」は、野生動物を愛でたり馴らしたりするためにエサを与えることであり、「給餌」は、ハクチョウやタンチョウなどへの冬季給餌に代表されるように、冬など食料の少ない期間に限って、野生動物の生存を助けるためにエサを与えること、だそうな。

多くの団体では、前者の「餌付け」は、人間の勝手で、自然の理や動物の身体の仕組みなどを理解せずに実施されることが多いために、生態系が破壊されることを懸念している、とも書かれている。また、いずれの場合も、行うならば、責任をもって、その動物の生息場所としてふさわしい環境づくりをする必要があるとのこと。

たしかに、野生の動物たちは厳しい自然の中を生き抜いてこそ、その強いDNAを残していくことができる。
でも……、軽井沢の冬の寒さは半端ではない。氷点下十数度は当たり前。雪が降ると、食料になるものなどどこにも見当たらなくなる。
餌付けをしようとは思わないが、せめて、木の芽や木の実がなくなってしまう期間だけでも、給餌はしてやりたい。

でもちょっと待てよ……。「ふさわしい環境づくり」、とな……。

我がKazusaの森のリスたちは、これまでもずっとこのクリの実を食べにきていたわけだから、ここは彼らの生息地として十分にふさわしい環境であるということだ。クリの木だけでなく、コナラなども植わっているだろうし、それらの実の代わりにクルミが置いてあってもいいのではないか。もっとオニグルミやミズナラなどを植えてもいいし……。

それに、である。
軽井沢のこのリスたちは在来種のニホンリスだが、そのニホンリスそのものが、すでに生態系が破壊されていて個体数が激減しているという。九州や中国地方の一部では絶滅種に指定されているとか。原因は、開発による森林伐採や外来種のタイワンリスの「持ち込み→逃亡→個体数激増」によって生息地を奪われたため、というのだから、放っておけないではないか。人間が原因で壊れた環境は人間の手で元に戻さなくてはならない。

以上の理由(というか、こじつけ、というか、正当化、というか……)により、そのまま給餌を続行するに至ったわけであるが、どう頑張ってみても、リスは勿論、野鳥たちまでもが、なつくどころか、近寄ってこようともしない。窓の内側から眺めているだけなのに、カーテンが動いたり、カーテン越しに影が見えたり、と、少しでも気配を感じると、サーッと逃げていってしまう。

――何もそんなに慌てて逃げなくても……。

それこそ脱兎ならぬ脱栗鼠のごとくに、大慌てで逃げていく彼らの後ろ姿を見ながら、わたしはいつもガックリと肩を落とす。が、これが野生動物と人間との住み分け、ということなのだろう。
それに、ここは観光地でもなければ、公園でもない。人間が極端に少ない森の中なのだ。こんなところで餌付けなどできはしない。

昔、関東圏内のベッドタウンで、ニホンリスの森づくりが行われたことがあるとか。その話を聞き及んだわたしは、早速、本を取り寄せて読んでみて、驚いた。

ニホンリスは音に非常に敏感で、大きな音がすると気絶する子もいるという。性格も非常に臆病で怖がりだ。そのニホンリスを富士山麓の樹海から何匹か捕獲してきて、「リスの森」の「開催日」とやらに公園に放すのだが、その際にパレードなるものを行ったりコンサートなどを行ったりして大騒ぎをしているのだ。それも、ケージからリスを公園に放すときに、大観衆がいっせいに「ワアー」っと大歓声を上げている。驚いたリスたちは、一目散に公園の樹林の中に逃げ込んでいったらしいが、大きな音にびっくりしてどこかにぶつかったのだろう。1匹のリスが鼻血を出して死んでいる。

やがていろいろなマスコミに取り上げられて知名度もアップし、全国から視察団を迎えたり写真展を行ったりと、かなり派手に活動をしている。その結果、わざわざ遠方から、ペットとして飼っていたリスを放しにくる人が出てきたりして、ニホンリスの中に、ペット用のシマリスがまざりはじめ、生態系が壊れはじめる。ペット用のリスは、野生のリスほど敏捷ではないので、猫にねらわれやすく、いつの間にかリスの森に野良猫が溢れて、ニホンリスまでがその犠牲になっていく。もっとひどいことには、密猟者までが現れるという始末。

その後、リスの姿が少しずつ消えていき、最後には、「開発」によってその公園からリスが1匹残らず消えてしまったそうだ。

野生動物との共存共生は、静かにそっと、お互いがそこにいることが当たり前のように、行っていくものではないのだろうか。

ま、よそさまのことはさておき、我がKazusaの森のリスたちは、永遠に手が届かないところにいる妖精たちだ。
どんなにラブコールを送っても、彼らに届くことはない。いつまで経っても、わたしと彼らの距離は縮まらない。遠くからそっと見守るだけしかできない……。
それでいい。
いや、そうでなくてはならない。
彼がらいつまでもこの森で元気に逞しく生きてくれさえすれば。
ずっと、ずーっと愛しているから。